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近江湖北地方に在住のおっさんの独り言です


by tomioka_a
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浅井(あざい) 浅井郡 浅井比売命

平成の市町村合併で旧浅井町は長浜市となった。

現存する地名としては、湖北町、虎姫町からなる東浅井郡
伊香郡の西側にある西浅井町である。
しかし、伊香郡、東浅井郡と長浜市の合併の話も出ており、
近い将来は地名としての浅井(あざい)は消えてしまう可能性もある

地名が消えつつある今、改めて
浅井(あざい)という地名について考えてみる。

そもそも浅井(あざい)という名の由来は何なのか?
よく言われるのが、この地域を支配した戦国大名の浅井氏
由来するのでは?といわれることもあるが、
そうではないらしい。

先日、旧浅井地域の観光と伝統について
長浜城歴史博物館の太田副参事に話をうかがう機会があった。
ついで話で、その事を聞いてみた。

浅井(あざい)という地域名は
律令制の時代からあり、以前は浅井郡と言われた地域が
東西に分かれ、東浅井郡と西浅井郡となり、西浅井郡
伊香郡に編入され西浅井町になったという事である。

ワシら旧浅井町地域の住民からすると、地図を見てもわかるように
伊香郡を跨いで飛び地的に西浅井があるように思うのだが
この旧浅井郡の地域は竹生島信仰を支えた地域という事なのだそうだ。
浅井(あざい) 浅井郡 浅井比売命_c0039394_21235752.jpg

家に帰って、ネットで色々検索してみたりする。
まず、竹生島を軸にこの地域周辺をを眺めてみると
なるほど、竹生島に隣接した地域というのが分かる。

竹生島の頭(とう)がさす」というといわれる行事がある。
正しくは「蓮華会」(れんげえ)という行事で、
旧来は弁財天を新規に作造し、竹生島に奉納する行事であるそうだが
それをつとめる頭人と言われる役は旧浅井郡から選ばれるという意味からも
この地域が竹生島信仰を支えた地域と言えるのだろう。

ではその竹生島には、いったい何があるのか?
竹生島には宝厳寺(弁財天)と都久夫須麻神社があるが
明治の神仏分離令以前には、
これらはきっちり区別されていたわけではなく
神仏一体の聖地であったらしい。

宝厳寺=弁財天=蓮華会=浅井郡、の関連について
は先述べた通りの関連があるようだが、
片方の都久夫須麻神社には何か関連はあるのだろうか?
歴史的には仏教より神道の方が起源も古そうだし、
土着の神さんというのもあるかもしれない。

何を祀ってあるのか?調べてみると
・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)(弁財天)
・宇賀福神(うがふくじん)
・浅井比売命(あざいひめのみこと)
・ 龍神(ちくぶしまりゅうじん)
とある。

何かとんでもないものを発見した様な気分になった。

浅井比売命にはダイレクトに『あざい』という名があり
おそらくは浅井郡とも直接関連するのだと思うのだが、
案の定、
「神社の社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る
小祠が作られたのに始まると伝える。
『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が
姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、
負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、
湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある」
という記事があった。

それ以上の詳細はネット上では発見できず、
高じて地元の図書館等にも出かけて調べてみたが、同様であった。

ただ、『日本の神々―神社と聖地〈5〉山城・近江』の
P531からの都久夫須麻神社についての記事を書いた
担当著者の江竜喜之氏によると、これらの神々は
竹生島の造島神話や弁財天信仰をもとに後付けしたもので、
自然崇拝から始まった竹生島神が本来の祭神ではないか、
と記述していて、事実は何なのか?はよくわからない。

この島は明治までは神仏がはっきり区別されておらず
特に中世以降は元々神道的なものまで
仏教色一色におおわれていたのを、
明治時代になって神仏分離令により、
強引な分離が行なわれたという経緯から
記録の混乱もあったのではないだろうか。

いずれにしても、「あざい」という地名が千数百年前、若しくは
それ以前から存在する古い地名で、それが金糞岳に関係するらしい
浅井姫命と関わりがあるらしいというのも、地元に住みながら
初めて知る事となった。
って、知らぬはワシだけってことないだろうなぁ。
浅井(あざい) 浅井郡 浅井比売命_c0039394_2125335.jpg

「浅井姫命」についてはそれ以上の詳細はわからないが、
ワシはこんな想像をするのである。

大和朝廷成立以前の昔の話。浅井地域と、
その東南の伊吹地域またはその奥の岐阜方面の勢力との間に
争いがあった。

その争いは、鉄を巡る争いであったかもしれない。
伊吹山はその名に、
息を吹く=ふいご=金属精錬=製鉄の関連を指摘されていて、
また金糞は精錬クズという意味もあり
この地域に古代の製鉄跡やそれに因んだ地名もあり、
まんざらでもなさそうなのである。

浅井地域が負けてその長またはそれに関連する女性は殺されたが、
征服者が浅井地域を治めるため先の支配者を神として竹生島に祀った。
先の支配者は千年以上前に滅んだが、その名は神社に封じられ
その名に於いて今に存在している、、、

どうだろうか?

浅井姫というのが悲劇の美女であったなら、
なおさら物語になりそうであるが、、、。

長くなったが、美女に関連してもう一つ。
戦国時代の浅井家。これは史実として
東南から攻めて来た織田信長に滅ぼされた。

浅井家最後の武将長政の娘は浅井三姉妹として有名であるから
ここでは詳細は書かないが、三女のお江は
徳川家に嫁ぎ、三代将軍家光を生んだ。
彼女の血筋は現在まで続いているそうな。

この地域は、昔から男は負けて
女は何かを残し、今に続くという土地柄かもしれん。

いずれにしても、歴史は時代がさかのぼる程
不確かな事が増え、その分空想も広がるものだ。
ネットでも色んな人が色んな事を書いており
興味深い記事や、内容が濃すぎて理解困難な記事が
浅井姫に関連するものだけでも多々ある。
その辺り、整理する必要もあり
専門家に話を聞いてみたいものである。
by tomioka_a | 2008-04-13 22:45 | 滋賀県